サッとぶ

日々の徒然。自分用メモなど。

AIに画像描かせてみた

なんかこれ見て俺もやってみたいと思った。

togetter.com

上記の記事にDiscoDiffusionというキーワードがあったので、とりあえず検索したらこんなページがヒット。

colab.research.google.com

よくわからんがGoogle Colaboratoryとかいうサービスらしいので、適当に検索して使い方を10分ぐらい学習。なんかよくわからんがGoogleドライブと連携させて使うっぽいという事と無料で使えそうという事だけを把握。

上記のページの何かを自分のGoogleドライブにコピーして、上から順になんか再生ボタンっぽいのを押していった。

途中で絵をテキストで「血の海に浮かぶ灯台」などと指定してるっぽい所があったので「新海誠風に」と修正して実行。

まさかこんなんで動くわけねーよな、とか思いながら見てたら、、

AI生成画像「新海誠風の血の海に浮かぶ灯台

うおおお!!なんか絵が出てきた!!すげー!絵自体は微妙だけど勝手にAIが描いてるってのに感動。

なんか何枚も出力してるっぽくて1時間ぐらい放置してたけど、まだ別の灯台の絵を描き続けてたのでなんか飽きてきた。停止。

次に「地獄で笑う女」と指定したら

こっわ

でも灯台の絵を何種類も見るよりこっちの方が飽きない。

10種類ぐらい色んな絵を生成したところでGPUの利用上限に達したとかで使えなくなった。結局今日は1日中これを弄ってた。パラメータ?何それ?俺はdeepLで文章を英語にしてそれをひたすら食わせてただけだ。なぜ絵が出力されるのかサッパリわからんがやるだけなら簡単だし超面白いので万人におススメ。

宗教を信じる人のIQとメリットの関係

宗教学者「親の信仰を子供が受け継ぐ場合と受け継がない場合の違いを卒論で書いた人がいて…」→卒論を書いたご本人登場、執筆の背景を語る

https://togetter.com/li/1786277

 

上記の記事を見て宗教を信じるか信じないかは、その人のIQと、宗教に入る事によるメリットが関係していると思ったのでグラフを作ってみた。

「IQが高いのでメリットが大きくても宗教を信じない人」と「IQが低いのでメリットが小さくても宗教を信じてしまう人」をグラフ内にプロットしている。

 

f:id:kei_1010:20211010221103j:image

これは俺の単なる推測だけど、大きくは外してないと思う。

ちなみにIQの高低は賢さを表しているわけではないとか言われたりしてややこしいので、ここでは単にIQ=賢さだと思って欲しい。

 

異論、反論お待ちしてます。

親ガチャや知能の高さ以外に成功者が持つチートについて

人間の脳には、扁桃体という器官がある。扁桃体は、不安や恐怖といったネガティブな感情に深く関わっている。本稿では便宜上、恐怖や不安を感じやすい人は扁桃体が敏感で、その逆の人は扁桃体が鈍感であると表現する。実際には、そんな単純なものではなく、ドーパミンセロトニンなどの神経伝達物質前頭葉の機能、多くの遺伝子の働きなどが複雑に絡み合っているみたいだが、俺も詳しくは知らない。

俺の扁桃体の働きが鈍かった時の体験談は以前に書いた。

https://kei-1010.hatenablog.com/entry/2021/10/07/123854

この体験を踏まえて考察した事を今回は書いていきたい。

 

よく成功者が「あなたもこんな風に考えればうまくいきますよ」などと言うが俺は気に食わない。まるでそのように考えるから自分は成功していると言っているように見える。

しかし実際には脳の状態のせいでそんな風に考えられるようになっただけだ。思考で行動を変えるのは容易ではない。なぜなら脳の状態が思考を導きその考えに至るからだ。

例えば俺の成功体験として「自分の気分は置いておいて、とりあえず明るく挨拶したり笑顔で話すように努めよう。そうすればいずれ相手も自分に好意を持ち仕事も恋愛もうまくいくだろう」と考え実践できた事がある。職場での人間関係が良くなり同僚は俺の言う事を聞いてくれるようになったし、恋人もすぐに作れた。しかしである。これは20歳そこそこの頃の話だが躁状態がおさまったらその後いくら頑張ってもうまく出来なくなった。不思議ではないか。まだ経験も少ない若造の頃にはできたのに、その後の人生で経験も沢山積んだはずの自分が実践できないというのは。

なぜそんな事になるのか。

上記の例で言えば「自分の気分は置いておいて」がまずできない。例えば緊張する場面でどうやって震えを隠すのだろうか?顔の強張りは?心臓バクバクなのに笑顔で話せるはずがない。つまり「自分の気分は置いておいて」と考えられるのは、それが可能だからにすぎない。扁桃体が働かなくなると恐怖や不安を感じないので自分の気分を置いておく事が簡単にできて朗らかさを演出できる。

当時の俺の状態を例として物事が上手くいくかどうかのしきい値との関係を図にするとこうなる。

f:id:kei_1010:20211008194107j:image

通常時の俺がいくら頑張っても「自分の気分を置いておく」ことが難しいのは

f:id:kei_1010:20211008162801j:image

こんな感じだからだろう。物凄く気合を入れれば短期間ならしきい値を超える事もあるだろうが継続する事など不可能だ。瞬間的に頑張れる程度も人によって違ってくる。

しかし俺も調子の良かった時は「努力すれば誰にでもできる」と思っていた。それは上記のイメージがなかったからだ。恥ずかしながら色んな辛い経験を積んで苦しい人の気持ちもわかるはずの30代の時の躁でも「考え方次第でなんとでもなる」と考えて他人にやり方を教えていた事がある。普段は低空飛行の俺でも調子が良くなるとすっかり悪い時の気分や感覚を忘れてしまい出来ない人の事情も考慮しない感じになってしまうのだ。生まれつきや長期間調子の良い人が偉そうにご高説を垂れてしまってもあまり責める事はできないのかもしれない。もし俺が次に調子が良くなる事があればさすがに配慮できると信じたいが、はたして。。。

 

https://logmi.jp/tech/articles/325154

上記リンク先の記事では「相手に期待するからイライラする。期待しないようにすればうまくいく」というような事が書いてある。確かにそうなんだろう。しかし「期待しないようにする」のは大変に難しい。何も期待しないなんて事は不可能なので、程度の問題という事になる。どこまで期待しないでいられるか、という程度は扁桃体の働きに依存する。部下が失敗したらどうしよう、と不安にならない為には扁桃体の働きがその程度まで鈍い必要がある。

彼は考え方を変える事でイライラしなくなったと言っている。しかしその前後で何かストレスが減る要因が他にあったのかどうかは書いてない。何か環境が変わってストレスが減ってそのような考えを無理なく実行できる状態になっただけの可能性が非常に高いと俺なんかは思ってしまう。「海外出身のメンバーの気持ちなんか想像できないので相手の気持ちを考えずに対応するようにしたらうまくいった」という話もそもそも相手が優秀な人だったからそこまでイライラしなかっただけかもしれない。

彼は娘に対してイライラしてキツく言いそうになったのをギリギリ思いとどまったそうだ。ではギリギリ思いとどまれなかった人ならどうだろう?そういう人は彼の考えをヒントにすればなんとかなるかもしれない。ギリギリのラインにいる人というのは

f:id:kei_1010:20211008195432j:image

こんな感じなのだろう。彼の考えを取り入れて努力したらギリギリしきい値を超えられるかもしれない。

でも全く思いとどまれない人はどうだろうか?

f:id:kei_1010:20211009015639j:image

こんな感じではとても考え方だけでうまくいきそうにはない。

そういう人は考え方を変えるのではなくストレスが減るように努力したり食事を変えたり運動したり瞑想、、、まあなんでも良いけど考え方を変えようとする前にやる事が沢山ありそうだ。

その上で惜しくもまだうまくいかない、というような人にしかこの手の考え方とやらは役に立たないだろう。

結局のところ、ほとんどの人は自分に与えられたカードを使って精一杯考えて生きている。それでもうまくいかない場合はたいていどうしようもないのだ。

 

https://president.jp/articles/-/50506

上記リンク先の記事ではホリエモンが「お金を貯めるな。自分の経験の為に全部使ってしまえ」的な事を言っている。「困ったら借りろ! 頭を下げまくれ!」などと檄を飛ばしながら。

これなんか典型的な扁桃体の働きが鈍い人の言動だと思える。お金を貸して下さいなんて言ってくる人は普通に迷惑だし、扁桃体の働きが正常な人は他人に迷惑をかけて怒られたり嫌われたりするのが怖い。頑張って人に嫌われるような事をしたらしたでその後もずっと扁桃体が働いてウジウジと悩み胃が痛くなったり精神的にすり減ったりする。もしくは自分がそうなってしまう事がわかっているので最初からそんな選択肢は出てこない。これは生まれつき扁桃体が鈍い人には未知の事なので (行動できない人がこのような状態になっている事を) 理解できない。

 

ホリエモンの状態を図にするとこうなる。

f:id:kei_1010:20211009022517j:image

基本のスペックが元々高いが、彼が言っている事を実現する為のしきい値を超えるのに貢献してるのは扁桃体の鈍さによる所が大きい、というイメージで描いた。

彼と同じスペックがあっても扁桃体の働きが正常ならこうなる。

f:id:kei_1010:20211009023327j:image

ホリエモンより努力してもしきい値は超えられない。このケースではホリエモンは自分より努力している人に偉そうにご高説を垂れているという恥ずかしい事になる。

そもそも基本スペックが高いのは生まれつきの知能の高さだったり実家の太さによる幼少期からの環境に依存する部分が大きい。ホリエモンの実家は微妙だったようなので、その点は努力したのだとは思うが、扁桃体の鈍さによるチート効果が大き過ぎるので彼の努力なんて誤差みたいなものに思える。扁桃体が鈍ければ普通の人が勇気を振り絞って気力を使い果たすような場面でも何も苦労しない。彼よりも知能が低くて実家も彼より劣る感じの俺でも扁桃体の働きが鈍い状態であれば、それなりに成功者となっていただろう。ホリエモンのように幼少期からずっと扁桃体の働きが鈍ければ脳の発育に重要な成長期に多大な経験を積めるのでその差は更に広がる。

お金を貯めようが使ってしまおうが関係ない。お金なんか使わなくても扁桃体が鈍ければいくらでも経験が積める。実際俺が30代の頃に経験した躁では収入がゼロだったのでお金はあまり使えなかったが色んな人と出会い様々な経験を積めた。逆に扁桃体が敏感だったりするといくらお金を使って経験を積んでも常に不安や恐怖で疲弊し、経験から出てくるアイデアもその殆どが扁桃体の指令で却下される。それ以前に「明日は何をしようかな」という系統のアイデアは自分が恐怖や不安を感じないものしか出てこない (例えば選挙期間中にふと思い付いて、地元の選挙事務所全てを訪ねてみよう、なんてアイデアは出なくなった)。よって使えるアイデアが非常に限られてくる。そういった事がホリエモンのような「扁桃体が鈍いから成功してる系」の人には全く理解できない。だから平気で他人のことを「そんな事も考えられない馬鹿どもが!」みたいなテンションで罵れるのだろう。彼らがよく「俺がせっかく素晴らしい考え方を教えてやっても奴らは『でも、でも、だって』とやれない言い訳ばかりしやがる」と言うのは、その考え方を採用できない人の感覚が全く理解できないからだ。数学の難しい理論なんかを理解できない時、人はそれを理解できる人を尊敬する。しかしこれ系の理屈はなぜか理解できない人の方が偉そうだ。

 

ではどうすれば良いのか?万人に当てはまるスパっとした解決法は残念ながら存在しない。でもまるでそんな方法があるかのように書けばバズる。そんなゴミ記事が溢れて検索結果を汚染するので自分に合ったヒントを探すのも難しい。今の残念な俺がなんとか楽しんで暮らしている方法などを書けば誰かのヒントになるだろうか?また書く気が起きたら投稿してみたい。

 

ごくたまにサイコパスになる俺の体験談

どんな場面でも恐怖や不安を感じずに楽しい気分で行動できたら良いのに、なんて考えた事があるだろうか?

儲かりそうなネタを考えついても、不安なので投資家に連絡できない。面白そうなプロジェクトのスタッフを募集していても自信がないので応募できない。好きな人と話す機会があっても緊張して挙動がおかしくなるので最初から諦めている。

もし不安や恐怖を感じなければそれらを乗り越える為に気力を使い果たさずに、やりたい事に集中できるのに、なんて考えたりするだろうか?

俺の体験した躁のような症状がまさにそんな感じだったので詳しく書きたい。とは言え他の人に真似できるような性質のものでは無い。もし詳しい人に読んでもらえたらぜひ感想を聞かせて欲しい。

 

俺に躁のような症状が出る時は、辛い時期とセットになっている事が多かったので、合わせて精神病歴についても軽く触れておく。

俺は会社員時代に激務で体調を崩し精神科にかかった事がある。そこでは鬱病と診断された。同じ時期に会社の産業医に診断してもらった時は不定精神障害かもと言われた。

しかし期間としては短く、その後症状は出ていない。また躁の症状も典型的なものなのか判断できない。そもそも医者には過去の躁状態について何も話してないので専門家の意見を聞けた事がない。

俺のメンヘル的なイベントを図にするとこんな感じになる。

f:id:kei_1010:20211007105152j:image

つまり鬱になったのは人生で2ヶ月だけ。

ちなみに、2週間ぐらい精神科に通ったが自己判断で薬をやめて自己流の認知療法をしたら躁転した。その状態でかかりつけの精神科に行くと「薬を飲まないなら治療はできないので2度とくるな」と言われ追い出された。

躁転した後は楽しくなって友達を呼んで喋りまくっていた。喋ってるうちにだんだんとおかしくなり自分が神であるという幻覚を含む色んなものを体験した。その症状は1日でおさまったけど後遺症なのかふらつきが1週間ぐらい続いた。産業医と面談する予定があったので詳細を話すと不定精神障害かもしれないと言われた。

躁っぽいのは人生で4回あるが、短いものを除くと2回だけ。

つまり殆どの期間は低空飛行ながら普通の感じだ。確かに鬱病と診断される3ヶ月前ぐらいから不眠症気味になり、その後現在に至るまで睡眠障害はかかえているが、不調と言えばそれぐらいだ。

これでも不定精神障害とか双極性障害(躁鬱病)なのだろうか?少し疑問が残るが(睡眠障害以外には)特に問題はないので以後精神科を受診しておらず現在どういう状態なのかはわからない。この文章からでもわかる人がいたら診断して欲しい。

ここからは俺が体験した躁のような症状について詳細を記す。不安や恐怖を感じなければ人はどうなるのか?なぜひろゆきホリエモンはあんな感じなのか?についてのヒントにもなると思う。ここからが本編。

 

14歳ごろに躁っぽくなった時は、大晦日から正月にかけて夜更かしして初詣に行った午前3時頃、親が運転する車の中で変な万能感が出てきて、図では3時間と書いたが、もしかすると1時間もなかったかもしれない。たぶん夜更かしがトリガーになったのだろう。当時は何がなんだかわからない内に終わり、その後ずっと「あれは何だったのだろう?」と心にひっかかっていた。

夜更かし以外のトリガーとして有り得そうなのは、同時期の辛い体験からの反動。この頃1〜2ヶ月ぐらい継続して軽いイジメに合い、それを切っ掛けに下痢気味になった。その後中学を卒業するまで2年ぐらいほぼ毎日腹痛を伴う下痢に悩まされていた。下痢になるかもという恐怖で下痢になる、という感じ。午前中の授業は常に腹痛との闘いで全く集中できなくて辛かった。これらの体験が上記の躁のような症状のなんらかの切っ掛けになったのかもしれない。余談だが何かの記事で思春期にストレスで過敏性腸炎的なものになるとその後大人になってから鬱病になりやすいという文章を読んだ記憶がある。

 

次に20歳頃にも躁状態になった。ネットの掲示板で悩み相談に回答した時に議論みたいな感じになったのをきっかけに本気の長文でやり取りをすると楽しい事に気が付いた。相手の文章を深く読み込んで返信を何時間もかけて書くという事を繰り返すと自分の思考が研ぎ澄まされ心地よかった。わざわざ議論専用のサイトを作ってまで毎日議論をするようになった。すると、ある時色んな思考がパッと繋がって悟りを得た気分になった。この時の躁だけは他の時と違い、前後で辛い体験がなく何がトリガーになったのかわからない。いや当時は議論の中で感情のコントロールについて思考を重ねていたので、そのおかげでついに覚醒した、俺は天才だ、何でもできるぞ、という感じだったが、その後の経験で、単に脳内環境の変化による躁転だろうと思うに至った。(なぜなら思考や訓練だけで覚醒できるなら、その後の低空飛行の俺を説明できないからだ。通常の状態に戻った後も覚醒しようと何度も色んな努力をしたが無理だったという実績があるのだ)

その頃の感覚はまさに成功者の思考そのもので「どうせいつか死ぬのだから良い事も悪い事も全て無意味。それなら今を全力で楽しもう」「くよくよ考えるだけ無駄。自分がやれる事のみに集中しろ」「人の言動によって自分の感情を動かすのは愚か。外界からの情報はすべて自分の感覚や思考を通して感情に変換されるのだから、考え方次第で気分などいくらでもコントロールできる」「マイナスな事なんて世の中には無い。今の俺がもし突然背後からナイフで刺されても、その状況を楽しみながら、さて何をしようかな♪、と考えるだろう」「誰でも俺と同じ訓練をすれば俺と同じ境地に到達できるに違いない。なぜなら俺だって以前は平均以下の人間だったのだから」みたいな事を実感を持って考えていた。

しかし誰でもできるとは思っていたが、あまりに急激な変化だったので人に強制する事はせず、上記の考えを本当に実践できるかどうか日々色々と試していた。(ちなみに「ナイフで刺されても」などと物騒な事を考える理由だが、これは恐怖や不安を感じない事に気がついたので、極限状態でもそうなのだろうか?という疑問を解消する為にあれこれイメージするからである。出来るだけリアルにイメージできるように、ナイフで刺された人の体験談を読んだり実際に治安の悪そうな場所を徘徊したりした)

 

例えば、金持ちになろうと思って、中堅企業の経営者の募集に応募した事がある。経営不振の従業員100〜200人ぐらいの企業が助けて下さいみたいなトーンで就職情報誌にて経営者を募集していた。軽い気持ちで電話した事を覚えている。説明会には100人ぐらい来ていた。募集要項には30才以上の管理職相当の経験者のみとあったが気にせず20才そこそこの "職歴フリーターのみ" の俺が応募した。説明会の前日から現地入りして周辺をリサーチ。「経営再建案をレポート用紙にまとめて提出。面接時にそれをプレゼンしてくれ」みたいな事を説明会で言われたので、帰ってから1週間ぐらいかけて十数枚のレポートにまとめて提出したら最終選考の4人に残った。「あなたには経験が無く経営者になって頂くのは不安なのですがアイデアには光るものを感じたので、まずは役員として来てもらえますか?」と言われたが「いや私がトップをやらせてもらえないのなら辞退します」と言ったら不採用になった。

当然だが通常の俺ではこんな事は不可能だ。まず応募することすら、要件を満たしていないので、おこがましい恥ずかしい怖いなどと感じて無理だ。それに耐えて無理矢理応募しても面接まで緊張と不安と恐怖で動悸発汗胃痛下痢吐き気などに襲われるだろう。

しかし当時の俺は友達に電話する気軽さで応募し、ウキウキ観光気分で現地入りして色々と視察。レポートを作成している時も楽しくてアイデアが次々と出て、面接ではいかに笑わせてやろうか考えながら話していた。今の俺からすると有り得ない。

 

他にも、女の子に惚れられようと思って、当時働いていたアルバイト先の女の子のうち4人に狙いを絞って惚れてもらえるような振る舞いを試したら4人とも落とせた。明るく堂々とした態度を貫き、挨拶や気遣いを心掛けたぐらいしかやってないが周囲の反応は以前と全く変わったのを覚えている。4人のうち3人に告られ2人を断って1人と付き合った。不細工で非モテ童貞の俺としては快挙と言えるだろう。しかし躁状態になる前の俺は「女の子と付き合えたら、あんな事もこんな事もできて最高の気分だろうなぁ」と思っていたのに、あんな事もこんな事もしたのに、何も感じない。喜怒哀楽の楽しかない。たとえ目の前で彼女が車に轢き殺され肉片が飛び散っても「へー、内臓はまだ生きてるのかなー。興味深いなー」などと「楽」の感情のまま淡々と対応できるだろうし、加害者が気の合う奴ならその場で楽しく会話して普通に友達にだってなれるだろうという感覚だった。離人症サイコパス?さすがにヤバいかも、と思って一旦元に戻ってみようと考えた。

 

それまでは感情が動きそうな場面になっても自動的に(すべての事象に意味などない、というような)悟った時の思考が働いて淡々と処理しているだけだったが、わざと感情を演技してみる事にした。例えば誰かに嫌な事を言われたら、特に何も感じてなくても少し怒ったような言動をしてみたり、心の中でわざとクソっクソっ!と思ったりなど。これを実践すると1週間もかからず元に戻った。まあいつでもまた覚醒できるだろう、と思ったが、それよりも「うおー!俺いま彼女がいるぜー!!マジで?!うほー!!」みたいになった。毎日が楽しくてニマニマしながら過ごすようになった。しかしである。彼女にしてみれば "何があっても冷静で向こうから連絡もして来なかったような男" が突然「ねえねえ次はいつ合える?(ウキウキ)」みたいなテンションに変貌した事になる。嫌な事があると普通に機嫌が悪くなったりもするし幻滅したのだと思う。すぐに振られた。

 

この調子で書く事に疲れたので、あとは簡単に。

次に躁転したのはブラック企業を辞めた時だった。納得のいく就職ができず情けなさと恥ずかしさから3年ぐらい会社以外にはほぼ外出しない引きこもり生活をするぐらい塞ぎ込んでいたので、辞めた時にその反動で躁転したのだと思う。久しぶりに「楽」以外の感情が全て消えるあの感覚。当時可愛がっていたウサギの耳を掴んでブランブランさせながらしげしげと眺め「あ、俺こいつを壁に叩きつけて殺しても何も感じないかも」と思ったのを記憶している。数年ぶりに友達に電話したりした。しかし半日ぐらいですぐに元に戻ってしまいガッカリした。

(もちろん、ウサギに危害を加えたいという欲はない。普段なら耳を掴んだりもできない。壁に叩きつけて云々というのは自分の気分の変化に戸惑い色々な思考実験をする中で、当時1番好きで可愛いがっていたウサギに対してすら酷い事ができてしまうだろうか?と思って試してみたという事だ)

 

次の躁転は上でも書いた鬱病のあと。これは5ヶ月ぐらい続いた。この躁の時も自己流の認知療法(を1時間ぐらいやっただけ)とはいえ自分の努力によって覚醒した気でいた。長年何度も色んな方法で覚醒を試みたが失敗していたので、今回ついに!と思ったが医者に「躁転してますね」と言われ、薬を勝手にやめていたのもあったし「そうかも(努力によってではなく単に断薬の副作用のせいかも)」とうっすら思った。しかし今回こそは覚醒状態を維持するぞと心に誓った。そのまま色々と元気に活動していたのだがだんだんと元に戻っていくのがわかった。なおこの時の躁は20歳の頃みたいな「楽」の感情以外ないという感じではなかった。不安や恐怖は無かったが喜びはあったし怒りもゼロではなかった。当時のエピソードも色々とある(例えば俺は普段は大勢の人の前で話すと緊張して過呼吸になるのだが当時はわざわざそういう場面に出かけていって喋りまくっていたり、色んな面白い人と出会ったりなど話題に事欠かない)がもう疲れたので書けない。

 

追記だが、おそらく20歳の時の状態は

f:id:kei_1010:20211009013623j:image

こんな感じになっていて、わざと元に戻した時には扁桃体の働きの鈍さみたいなものがだんだん元に戻ってきていたのだと思う。

f:id:kei_1010:20211009013839j:image

この状態から努力の部分が消えたので、何らかのしきい値を下回って他の感情が戻って来たのだろう。

30代の時の躁が20歳の頃と比べて感情が残っていたのは、努力の部分がなくて

f:id:kei_1010:20211009014147j:image

こんな感じだったからだろうなと思う。

 

そして扁桃体の鈍さみたいなものが無くなったのでその後はずっと低空飛行のままで今に至る。

さて、ここまでは前振りというか、これらの経験からわかった事をいつか書きたい。

(例えば「こうすると怒りを制御できたり物怖じしなくなりますよ」とか「人前であがらずプレゼンするには」みたいなものに対する反論的な記事)

 

追記

なんとか書けた

https://kei-1010.hatenablog.com/entry/amygdala

 

 

俺氏、人気の中華料理屋のチャーハンに勝ってしまう

俺はほぼ毎日チャーハンを作って食べている。

それなのに今日、近所の中華料理屋にチャーハンを食べに行った。俺のチャーハンとどっちが美味しいか比べるためだ。

 

俺のチャーハンを何度も食べたことのある友達と一緒に行ってきた。

 

なお、この中華料理屋に行くのは2回目で、前回はチャーハンと野菜炒めを比べるつもりで行ったのだが、チャーハンは売り切れだった。後で調べたらここのチャーハンは人気ですぐに売り切れてしまうらしい。

野菜炒めは俺の惨敗で、かなり美味しくて、その後俺の野菜炒めの参考になっている。

野菜炒めも自信があっただけに、かなり悔しかった。

 

チャーハンでは負けたくないと、毎日工夫して、磨きをかけて満を持してから行った。

 

結果は、完全勝利。

 

俺の方が完璧に美味しかった。

友達の感想も同じだった。

 

ここのチャーハンは700円で、量は俺のチャーハンの倍ぐらい。具は申し訳程度に、かまぼこ、焼豚、ネギ、グリーンピースがほんの少し。あとは卵1個と大量のご飯。

油や調味料はパパッと色々入れていたが、何を入れていたのかはわからない。食べる限りは特別な味は感じなかった。

 

という事で、以下は俺のチャーハンのレシピ。

 

材料

卵1個、ご飯100g前後、サラダ油大さじ1ぐらい。

味塩こしょう、岩塩、好みの量。

水10ml以下。

 

おそらく成人男性だとご飯の量が足りないと思う。しかし、欲張ってご飯を増やすとパラっとならないし、卵の香りも悪くなる。

卵が小さい場合は、上記よりご飯の量を減らした方がいい。

 

作り方

炊き立てご飯なら900Wのレンジで30秒ぐらい追加加熱。

冷めたご飯なら1分20秒ぐらい加熱する。

ラップをしない場合は、しゃもじに水をつけて、パパッとご飯に振りかけてから加熱する。

 

ご飯を温めている間に中華鍋を30秒ぐらい全力で加熱。煙が出てくるぐらいが目安。ご飯の加熱が終わるタイミングと合わせる。

 

ご飯や鍋の温度が低いと、なんか食感がボソボソして、卵の香りも悪くなる気がするので注意。

 

中華鍋に、油と卵とご飯を順番に素早く投入。油が飛んでくるので注意。

金属のおたまでガシャガシャ混ぜる。

あまり鍋をあおると温度が下がるので、おたまで混ぜるだけの方が良い。

 

焦げる前に水10mlを入れて、蒸気が消えるまで混ぜる。

これで、少しフワッとパラっとする。

水を入れても、気持ち変わるかな、ぐらいなので、面倒なら省略してもいい。混ぜ終わる前に焦げてしまいそうなら水を入れる、ぐらいの感じでもいいのかも。

 

火をつけたまま、味塩こしょうを入れて、混ぜる。

 

ネギや焼豚などの具を入れたい時は、火を止めて味塩こしょうと一緒に入れてから再び火を付けて混ぜる。

肉はハムやソーセージなら安物でも大丈夫だが、挽肉など生肉から炒めて混ぜる時は、なるべく良い肉を使うべし。安物だと不味くなるので入れない方がまし。

どうしても安物の肉を使う時はウェイパーやトムヤムペーストなどの調味料を入れれば、かなりマシになる。その場合は卵の香りや食感は割とどうでもよくなるので、ご飯を増やしても問題ない。

あと良い肉で焼肉を中華鍋で作ったあと、余った油でチャーハンを作るのもかなり美味しい。

それと意外だったのは黒ニンニク。1個を刻んで入れると、味に深みが出て、かなり美味しくなる。しかし友人は黒ニンニクが入ってない方が好きらしい。こんなに美味しいのに。。。

 

よく混ざったと思ったら火を止める。

 

岩塩をガリガリ削って入れる。

 

混ぜずに、そのまま半分ぐらいを皿に盛る。

皿に盛る時に自然に少し混ざる感じ。

皿に盛ったチャーハンに岩塩をガリガリまぶす。

残りのチャーハンを皿に盛る。

また上から岩塩をまぶす。

 

なぜこんな風にするかと言うと、岩塩のジャリジャリした感じが美味しいから。

チャーハンに混ぜ込んでしまうと、岩塩が溶けるのか、ジャリジャリ感が無くなってしまう気がする。

ジャリジャリ感が苦手な人は、味塩こしょうを入れる時に火を止めて、一緒に入れてしまっても良いと思う。

 

慣れないうちは塩加減が難しいので、少なめに入れて、あとはお皿の余白に岩塩をまぶしておくと、塩味が足りない時に助かる。

岩塩を直接チャーハンにかけながら食べると、つい削りすぎたりして調節が難しいので、お皿の余白にまぶしておいて、それを付けながら食べるのがやりやすかった。

 

最後に好みで、黒胡椒をかけても美味しい。

 

余談だが、カップ麺や袋麺を食べて余ったスープにお酢と片栗粉を入れてアンにして、チャーハンにかけたり、天津飯にしたりして食べるとうまい。上記のチャーハンだと量が足りないので、たまにやる。

 

上記のレシピで作ったチャーハンと、今日食べた中華料理屋のチャーハンでは、ご飯の食感が全然違った。

中華料理屋のチャーハンは俺のよりご飯が倍ぐらい多かったけど、パラパラ度は上だった。しかし、ご飯が硬くて食感も悪い。卵の香りもしなかった。

おそらくチャーハン専用に硬めに炊いているのだと思うが、俺と友人の好みではなかった。

 

老舗の人気中華料理屋のチャーハンに勝てたのはかなり嬉しかったので、記念に記事にしてみた。

 

 

画像はイメージ

 

こども部屋おじさんへ

こんなタイトルですまない。こども部屋おじさん、という言葉は問題が多いので俺は嫌いだけど、便利なんだよ。重ねてすまない。

 

この記事にふさわしいタイトルは

「両親と同居してる人の中で、自宅に長時間いることを急に強制された生活のせいで何となく調子が悪くなった人へ」

とかになるだろうか?

 

だから、両親と同居してて、自宅に長時間いる事になってても、何も問題がない人はブラウザバックで。

また両親と同居してなくても、なんか調子が悪いという人にとっては、ヒントになる事があるかもしれない。

あと最初から引きこもりで、コロナ関係なしに苦しんでいる人にも読んで欲しいかな。

 

いまの新型コロナ環境での引きこもり強制社会は、俺の生活にはなんの変化ももたらしてない。何も困ってない。

でも10年以上前に会社を辞めて、やることが無くなった時に、一時的に俺も病んだことを思い出した。

あれは何だったのか、という考察でもある。

 

結論から先に書くと「人は行動を減らされ役割を減らされると病むのかもしれない」という事と「経済的に合理的だから、という理由で実家で暮らしてるのなら、思い切って一人暮らしをすることを薦める」という事が言いたい。その上でオンラインで人と交流しよう、というのが主旨。

 

それでタイトルにも使った、おじさん、という言葉だけど、女性は関係ないのか?というと、関係ないかもしれない。

なんか女の子って両親と仲が良くて、買い物だったり料理だったりを、手伝うとかじゃなくて、自分の役割としてやってそうなイメージがあるんだよね。人とおしゃべりするのも好きそうだし。

そういう人は別に病まないと思う。

俺も実家にいるときは家のことを手伝うことはあったんだけど、自分の役割というのは無かった。両親から頼まれたり、困ってそうな時に助けたり、程度だった。

そして病んだ。

 

俺は仕事を辞めたあとも、しばらくは一人暮らしというか、シェアハウスで暮らしてた。その時期は病むどころか、人生で一番楽しい時代だったと言っても良いぐらいだった。

しかし、生活費のことを考えると実家で暮らした方が得なので、帰ったのね。

(それがメインの理由じゃないけど、詳細は長くなるし関係ないので割愛)

 

実家では母親が買い物をする。外出する機会が激減した。シェアハウスの時は買い物もそうだけど、友達に誘われて出かける機会が多かった。

だから生活の落差が大きすぎたのかもしれない。最初から実家で暮らしてる人がリモートワークで少し外出が減ったぐらいでは病まないのかもしれない。

誰も困ってないなら、それで良いんだ。この記事を読む必要はない。俺の取り越し苦労というやつだ。

 

困ってる人だけが読んでくれ。俺の恥ずかしい過去を見ないでくれ。

 

俺は自分が調子が悪くなった理由が全くわからなかった。暇なんだからどっかに行けば良いのに、なんか外出する気もおきない。一人暮らしの時はよく近所を散歩してたんだけど、なぜか実家では散歩する気も無くなって、ずっと部屋に引きこもるようになってしまった。

 

あれ?なんだこれ?

 

仕事を辞めてからすでにかなり時間が経っているので、いまさら仕事をしてないという事が恥ずかしいわけではない。なのに気分はそれに近い感じなのはなぜだ?

とにかく人に会いたくない。実家なので、昔からの友達は近くにいる。でも会いたくない。

これは会社員時代に鬱病になった時の感覚に近い。

俺はまた鬱になってるのか?でもなんで?理由がない!

 

すでに結論を書いているので、あまり伝わってないかもしれないが、この頃は本当に意味がわからなかった。

特に何もストレスが無いのに、なぜ鬱病になるのかわからなかった。

あとでわかったが、これは生活不活性病だと思う。

ストレスが無さすぎることが逆にストレスになるのだ。

 

色々と調べて、ようやく自分の状況がわかった。でも治らない。

無理やり外出するようにしたり、運動したり、色々やろうとするんだけど、続かない。

散歩なんてほとんど習慣に近い感じだったのに、その習慣も戻せなかった。

 

結局俺は再度一人暮らしをするまで治らなかった。

 

この事は、引きこもりで苦しんでいる人にも、かなりヒントになるんじゃないだろうか?

引きこもりの人って最初は何かが怖くて部屋から出なくなると思うんだけど、俺みたいに特に何も怖くなくても引きこもってしまう事がある。

つまり、引きこもりの人がよく言う「人が怖くて外出できない」というのは勘違いの可能性があるんじゃないだろうか?

でも、本人の認識としては「人が怖い」なんだよね。俺も人に会いたくなくて引きこもったもん。

でも俺には怖がる理由がないんだよね。そもそもシェアハウスの頃は色んな人と毎日遊び歩いてたんだから。

 

ようするにこういう事だ。

自分では人が怖いと思ってる。でもそれは違う。ストレスが無さすぎて、何もやる気が起きない、というのが先。やる気が起きないから、人と会うのが面倒くさいだけ。

(人と話すのって、思ってる以上に脳に負荷がかかってる。精神が健康だと全く気にならないから気が付かないけど、ある水準を下回ると、すごく負担になる。鬱や生活不活性病になって認知機能が下がると圧倒的な負担になる。これが人が怖いという感覚の正体だと思う。長年引きこもってる人だと余計に大変。もちろん人というのは本質的に危険な存在なので正しく警戒する必要はあるんだけど、それはまた別の話)

 

「いや、毎日部屋に居るけど、ストレス半端ないぜ」と言いたい人もいるだろう。

でも、そのストレスってたぶん俺の言うストレスとは意味が違う。

それはストレスじゃなくて、不安とか不満なんだと思う。俺は負荷という意味で言っている。とくに肉体的な負荷。でも筋トレをして負荷をかけても解消されるんだろうか?

筋トレをする習慣がある人はもしかしたら大丈夫かもしれない。

でも俺は原因がわかっても治らなかった。とにかく続かない。

なぜ続かないのか?それは必然性を脳が認識してないからだと思う。

 

一人暮らしをすると、買い物をする必要がある。だから面倒でも出かけないといけない。これが良いのだ。

あとは自分の役割があるという事も何気に重要なんだと思う。誰かにとってという意味じゃなくて、自分にとって自分の役割があるという事。

なんか禅問答みたいな言い回しになってしまっている気がするけど、

自分にとってすら自分が必要ない感覚というのはヤバい。

でも一人暮らしをすると、それらが一挙に解決する。

外出を強制され(自分を生かすために自分の行動が必要という意味で)自分の役割が生まれる。

 

だから苦しい人は騙されたと思って、一人暮らしをしたら良いんじゃないかな?

もしくは俺にはできなかったし難易度が高そうだけど実家で買い物を自分の仕事として認識し実行できるなら、それでも良いと思う。

 

たぶん先に趣味を作るってのはもっと難易度が高い気がする。

趣味ってのは、楽しいという気持ちが大事なんだけど、役割がなくて鬱々としていたら趣味の楽しさは激減すると思う。そんなものは続けられない。

なんか一人暮らしの方がハードルが高そうでしょ?でも俺の経験からすると、それより買い物に行く役割を自分に課したり、趣味に没頭したりする事の方が難しい。

 

一人暮らしを始めるのは割と簡単。お金が無くても公営住宅がある。

コロナが無ければシェアハウスで家具家電が揃ってる物件や、実家に暮らしながらお試しで近くのシェアハウスのドミトリーを借りる、というのもアリだった。でも今の状況ではあまりお勧めできない。一人暮らしにもバリエーションは沢山あった。でも今はお金が無い人には公営住宅しかお勧めできない気がしてきた。少しでもお金がある人は普通に部屋を借りて一人暮らしをしてくれ。幸か不幸か、コロナのせいで場所によっては家賃がかなり下がってるし。

 

完全に余談だけど、長年引きこもりの人にシェアハウスはハードル高すぎな気がするだろう?

でも俺が以前なら提案してたシェアハウスのドミトリーってのは殆どドヤに近いので、引きこもりでコミュ障でも大丈夫だったりする。だってそんな人ばっかりで住んでたりする場所も多いから。コミュニケーションとか挨拶とか、まともにできない人が多く住んでる。だからたぶん浮いたりしない。彼らは今はどうしてるんだろう?相変わらず濃厚接触状態のまま住み続けてるのかな?政府の支援が必要なのはそういう所に住んでる人だと思う。

 

次に、一人暮らしだけどリモートワークになってなんか調子が悪くなった人についてだけど、すでに書いてるけど、負荷や行動が減ったり、役割が減るのがヤバいと思う。

 

でも一人暮らしの人は実家で両親が買い物と料理をする環境の人よりは簡単。

会社に行ってた頃の方が調子が良かったのなら、たぶんそのレベルの運動や認知的な負荷がその人にとって丁度良かったのだろう。だから、別のもので代替すれば良い。

つまり何か趣味を作って負荷を増やせば良い。しかしこれには面倒くさいという罠がある。

やる事がなくてやる気が無くなると、何もする気が起きなくなり負のループに陥る。

この状況をまずは正しく認識することが大事。正しく認識できたら、自分に趣味をやらせる事の重要性がわかると思う。重要性がわからないと動けないからね。

一人暮らしをしている人は、すでにベースの部分は問題ないから簡単。

何か趣味を作れ。それで終わりだ。

趣味を作る方法は色々あるし書けるんだけど、もう長くなってしまったので、今回はひとつだけ。

友達とラインで話せ。たぶん意識的にこれを増やせば解決する。

俺は弟の家族と交流があり、よく子供を預かったりしている。

今は少し自粛してライン電話になる事も多いけど、それでもかなり救われている。やっぱり人間は他の人と会話をしないと病みやすい。

友達が居ない人は何か趣味を作ってその関係で友達を作り、そしてラインとかで話すのが良いと思う。

人と話すのは想像以上に脳を使うし、それが非常に良い影響を人に与える。

それが減るのはヤバいと認識した方が良いと思う。

 

この駄文が誰かの助けになることを祈る。

 

画像はイメージ

 

6時間ヒトカラメモ

ひさしぶりにヒトカラに行ってきたので自分用にメモ。

 

朝一から行きたいところだったが、午前中は用事があったので13時半ぐらいに店に着いた。

用事の流れで場所的に初めて入る店だった。

DAMの部屋にして、さあ頑張るぞと気合いを入れるも、damともにログインできない。

リモコン端末のどこをどう弄ってもダメ。

仕方がないのでフロントに問い合わせると、デンモク端末じゃないとdamともは使えないとのこと。

 

俺「じゃあ、その端末さえあれば部屋を代わらなくても大丈夫なんですか?」

女店員「はい。ですが、あいにくとデンモク端末は他の部屋で全て使われていて。。。一応探してはみますが。。。」

 

なんだかすごく面倒くさそうに対応された。

彼女は受付をしている時からなぜか感じが悪かった。

やはり一人だから?

 

店員の対応も含め、こんな罠があるとは思っていなかったので、かなり落胆。

もう『録音して確認して修正して、という修行ループ』なしでヒトカラを楽しめなくなってしまった人間としては、あと6時間もどうしよう、という気分。

2~3曲歌ったらさっさと出るか?

などと考えているとすぐに別の店員が端末を持ってやってきた。

 

俺「あれ?端末あったんですか?」

男店員「いや、えっと、はい、見つかりました」

俺「そうすか」

 

店員は端末と本体をペアリングさせようとしているが苦戦。

暇だったので店員と雑談。

 

俺「その端末って利用できるかどうかは運なんですか?」

店員「いや、一応全ての部屋の分はあるんですが、調整などが必要でして」

 

いまいち説明がよくわからなかったが、とりあえず予約すれば事前にデンモク端末が使えるかどうかわかるらしい。

 結局持ってきた端末が起動中の画面のまま固まってしまったので、別の端末を取りに行った。

店員は単に往復しただけの時間で新しい端末を持って戻ってきた。

その間に最初の端末が起動していた。

店員は念の為なのか、もう2台端末を持ってきていた。

目の前にあふれるデンモク端末たち。

 

俺「えっと、予約して確認しないとこの端末が使えるかどうかわからないんですな?」(語尾がぁ!)

店員「ええ、そうなんですよー」

俺「なるほど」

 

最初の女店員の態度が悪かったのは、ひとり客が迷惑だからなのかなーと思って、この店員に遠まわしに色々聞いてみたが、平日は客があまり来ないのでひとりでも大歓迎という感じだった。

たぶん彼は店長で、生意気な学生アルバイトの扱いに苦労してるんだろう。

無理やりに自分を納得させ、その後6時間ぐらい修行に励んだ。

 

途中、3時間ぐらい経ってから食事休憩にしたのだが、小さいピザを少し食べただけで受け付けなくなった。

お昼も食べてないのでペコなはずなのに普段食べてる量の四分の一ぐらいしか食べられなかった。

まだそんなに歌ってないのに、なぜこんなに消耗してるのか、不思議だ。

けっして歳ではない。

 

これまでにヒトカラは10時間ぐらいが普通になっていた。

そのせいか6時間だと少し物足りなかった。

しかし、立ったり座ったりを繰り返すせいか、足や背中がやばい事になっている。

たぶん運動不足なんだろう。老いではない。

 

それにしても、飲食代を別にすれば1日へとへとになるまで遊んで部屋代800円というのは非常に安い。

1ドリンク制ではない店だったので、やろうと思えば800円だけで一日遊べる。ニート最高。

本当はもっと頻繁に行きたいのだが「いつでも行けるし、また今度で良いや」となって、結局毎回半年ぐらい空いてしまう。

 

以下その他のトピック。

 

相変わらず、カラオケ店で再生して確認する時は「俺ってもしかしてうまい?」と勘違いするが家で聞くと(´・ω・`)

練習にはエコー切った方が良いとか聞いて、それでやっててもカラオケ店だとうまく聞こえる。そして家で落胆する。どうせならカラオケ店で落胆しながら修行したいのだが。。。

 

「原曲キーだと辛いがキーを下げると歌いにくい」という問題を今回生み出した技で克服した。

damともにはコラボ録音といって自分の録音曲と一緒に歌える機能がある。

普通はハモったり別パートを一人で歌ったりするのに使うんだろうが、これを利用して前半と後半で分けて歌えばしんどい曲でもかなり楽になる

これをもっと押し進めて「疲れる度に切ってコラボ録音を繰り返したら良いんじゃね?」と思ってやってみたら1曲に5回もコラボするハメになった。

 

完全感覚dreamerという1度歌うと喉が死ぬ曲があるのだが、これをさっきの技を使わずに頑張って1度で録音したのにマイクの充電が切れていて全く録音できてなかった。俺は死んだ。

 

PentatonixのDaft Punkという曲を録音したかったのだが、権利関係の問題で録音に対応してなかった。修行しがいのある曲なのに悲しい。

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com