サッとぶ

日々の徒然。自分用メモなど。

ごくたまにサイコパスになる俺の体験談

どんな場面でも恐怖や不安を感じずに楽しい気分で行動できたら良いのに、なんて考えた事があるだろうか?

儲かりそうなネタを考えついても、不安なので投資家に連絡できない。面白そうなプロジェクトのスタッフを募集していても自信がないので応募できない。好きな人と話す機会があっても緊張して挙動がおかしくなるので最初から諦めている。

もし不安や恐怖を感じなければそれらを乗り越える為に気力を使い果たさずに、やりたい事に集中できるのに、なんて考えたりするだろうか?

俺の体験した躁のような症状がまさにそんな感じだったので詳しく書きたい。とは言え他の人に真似できるような性質のものでは無い。もし詳しい人に読んでもらえたらぜひ感想を聞かせて欲しい。

 

俺に躁のような症状が出る時は、辛い時期とセットになっている事が多かったので、合わせて精神病歴についても軽く触れておく。

俺は会社員時代に激務で体調を崩し精神科にかかった事がある。そこでは鬱病と診断された。同じ時期に会社の産業医に診断してもらった時は不定精神障害かもと言われた。

しかし期間としては短く、その後症状は出ていない。また躁の症状も典型的なものなのか判断できない。そもそも医者には過去の躁状態について何も話してないので専門家の意見を聞けた事がない。

俺のメンヘル的なイベントを図にするとこんな感じになる。

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つまり鬱になったのは人生で2ヶ月だけ。

ちなみに、2週間ぐらい精神科に通ったが自己判断で薬をやめて自己流の認知療法をしたら躁転した。その状態でかかりつけの精神科に行くと「薬を飲まないなら治療はできないので2度とくるな」と言われ追い出された。

躁転した後は楽しくなって友達を呼んで喋りまくっていた。喋ってるうちにだんだんとおかしくなり自分が神であるという幻覚を含む色んなものを体験した。その症状は1日でおさまったけど後遺症なのかふらつきが1週間ぐらい続いた。産業医と面談する予定があったので詳細を話すと不定精神障害かもしれないと言われた。

躁っぽいのは人生で4回あるが、短いものを除くと2回だけ。

つまり殆どの期間は低空飛行ながら普通の感じだ。確かに鬱病と診断される3ヶ月前ぐらいから不眠症気味になり、その後現在に至るまで睡眠障害はかかえているが、不調と言えばそれぐらいだ。

これでも不定精神障害とか双極性障害(躁鬱病)なのだろうか?少し疑問が残るが(睡眠障害以外には)特に問題はないので以後精神科を受診しておらず現在どういう状態なのかはわからない。この文章からでもわかる人がいたら診断して欲しい。

ここからは俺が体験した躁のような症状について詳細を記す。不安や恐怖を感じなければ人はどうなるのか?なぜひろゆきホリエモンはあんな感じなのか?についてのヒントにもなると思う。ここからが本編。

 

14歳ごろに躁っぽくなった時は、大晦日から正月にかけて夜更かしして初詣に行った午前3時頃、親が運転する車の中で変な万能感が出てきて、図では3時間と書いたが、もしかすると1時間もなかったかもしれない。たぶん夜更かしがトリガーになったのだろう。当時は何がなんだかわからない内に終わり、その後ずっと「あれは何だったのだろう?」と心にひっかかっていた。

夜更かし以外のトリガーとして有り得そうなのは、同時期の辛い体験からの反動。この頃1〜2ヶ月ぐらい継続して軽いイジメに合い、それを切っ掛けに下痢気味になった。その後中学を卒業するまで2年ぐらいほぼ毎日腹痛を伴う下痢に悩まされていた。下痢になるかもという恐怖で下痢になる、という感じ。午前中の授業は常に腹痛との闘いで全く集中できなくて辛かった。これらの体験が上記の躁のような症状のなんらかの切っ掛けになったのかもしれない。余談だが何かの記事で思春期にストレスで過敏性腸炎的なものになるとその後大人になってから鬱病になりやすいという文章を読んだ記憶がある。

 

次に20歳頃にも躁状態になった。ネットの掲示板で悩み相談に回答した時に議論みたいな感じになったのをきっかけに本気の長文でやり取りをすると楽しい事に気が付いた。相手の文章を深く読み込んで返信を何時間もかけて書くという事を繰り返すと自分の思考が研ぎ澄まされ心地よかった。わざわざ議論専用のサイトを作ってまで毎日議論をするようになった。すると、ある時色んな思考がパッと繋がって悟りを得た気分になった。この時の躁だけは他の時と違い、前後で辛い体験がなく何がトリガーになったのかわからない。いや当時は議論の中で感情のコントロールについて思考を重ねていたので、そのおかげでついに覚醒した、俺は天才だ、何でもできるぞ、という感じだったが、その後の経験で、単に脳内環境の変化による躁転だろうと思うに至った。(なぜなら思考や訓練だけで覚醒できるなら、その後の低空飛行の俺を説明できないからだ。通常の状態に戻った後も覚醒しようと何度も色んな努力をしたが無理だったという実績があるのだ)

その頃の感覚はまさに成功者の思考そのもので「どうせいつか死ぬのだから良い事も悪い事も全て無意味。それなら今を全力で楽しもう」「くよくよ考えるだけ無駄。自分がやれる事のみに集中しろ」「人の言動によって自分の感情を動かすのは愚か。外界からの情報はすべて自分の感覚や思考を通して感情に変換されるのだから、考え方次第で気分などいくらでもコントロールできる」「マイナスな事なんて世の中には無い。今の俺がもし突然背後からナイフで刺されても、その状況を楽しみながら、さて何をしようかな♪、と考えるだろう」「誰でも俺と同じ訓練をすれば俺と同じ境地に到達できるに違いない。なぜなら俺だって以前は平均以下の人間だったのだから」みたいな事を実感を持って考えていた。

しかし誰でもできるとは思っていたが、あまりに急激な変化だったので人に強制する事はせず、上記の考えを本当に実践できるかどうか日々色々と試していた。(ちなみに「ナイフで刺されても」などと物騒な事を考える理由だが、これは恐怖や不安を感じない事に気がついたので、極限状態でもそうなのだろうか?という疑問を解消する為にあれこれイメージするからである。出来るだけリアルにイメージできるように、ナイフで刺された人の体験談を読んだり実際に治安の悪そうな場所を徘徊したりした)

 

例えば、金持ちになろうと思って、中堅企業の経営者の募集に応募した事がある。経営不振の従業員100〜200人ぐらいの企業が助けて下さいみたいなトーンで就職情報誌にて経営者を募集していた。軽い気持ちで電話した事を覚えている。説明会には100人ぐらい来ていた。募集要項には30才以上の管理職相当の経験者のみとあったが気にせず20才そこそこの "職歴フリーターのみ" の俺が応募した。説明会の前日から現地入りして周辺をリサーチ。「経営再建案をレポート用紙にまとめて提出。面接時にそれをプレゼンしてくれ」みたいな事を説明会で言われたので、帰ってから1週間ぐらいかけて十数枚のレポートにまとめて提出したら最終選考の4人に残った。「あなたには経験が無く経営者になって頂くのは不安なのですがアイデアには光るものを感じたので、まずは役員として来てもらえますか?」と言われたが「いや私がトップをやらせてもらえないのなら辞退します」と言ったら不採用になった。

当然だが通常の俺ではこんな事は不可能だ。まず応募することすら、要件を満たしていないので、おこがましい恥ずかしい怖いなどと感じて無理だ。それに耐えて無理矢理応募しても面接まで緊張と不安と恐怖で動悸発汗胃痛下痢吐き気などに襲われるだろう。

しかし当時の俺は友達に電話する気軽さで応募し、ウキウキ観光気分で現地入りして色々と視察。レポートを作成している時も楽しくてアイデアが次々と出て、面接ではいかに笑わせてやろうか考えながら話していた。今の俺からすると有り得ない。

 

他にも、女の子に惚れられようと思って、当時働いていたアルバイト先の女の子のうち4人に狙いを絞って惚れてもらえるような振る舞いを試したら4人とも落とせた。明るく堂々とした態度を貫き、挨拶や気遣いを心掛けたぐらいしかやってないが周囲の反応は以前と全く変わったのを覚えている。4人のうち3人に告られ2人を断って1人と付き合った。不細工で非モテ童貞の俺としては快挙と言えるだろう。しかし躁状態になる前の俺は「女の子と付き合えたら、あんな事もこんな事もできて最高の気分だろうなぁ」と思っていたのに、あんな事もこんな事もしたのに、何も感じない。喜怒哀楽の楽しかない。たとえ目の前で彼女が車に轢き殺され肉片が飛び散っても「へー、内臓はまだ生きてるのかなー。興味深いなー」などと「楽」の感情のまま淡々と対応できるだろうし、加害者が気の合う奴ならその場で楽しく会話して普通に友達にだってなれるだろうという感覚だった。離人症サイコパス?さすがにヤバいかも、と思って一旦元に戻ってみようと考えた。

 

それまでは感情が動きそうな場面になっても自動的に(すべての事象に意味などない、というような)悟った時の思考が働いて淡々と処理しているだけだったが、わざと感情を演技してみる事にした。例えば誰かに嫌な事を言われたら、特に何も感じてなくても少し怒ったような言動をしてみたり、心の中でわざとクソっクソっ!と思ったりなど。これを実践すると1週間もかからず元に戻った。まあいつでもまた覚醒できるだろう、と思ったが、それよりも「うおー!俺いま彼女がいるぜー!!マジで?!うほー!!」みたいになった。毎日が楽しくてニマニマしながら過ごすようになった。しかしである。彼女にしてみれば "何があっても冷静で向こうから連絡もして来なかったような男" が突然「ねえねえ次はいつ合える?(ウキウキ)」みたいなテンションに変貌した事になる。嫌な事があると普通に機嫌が悪くなったりもするし幻滅したのだと思う。すぐに振られた。

 

この調子で書く事に疲れたので、あとは簡単に。

次に躁転したのはブラック企業を辞めた時だった。納得のいく就職ができず情けなさと恥ずかしさから3年ぐらい会社以外にはほぼ外出しない引きこもり生活をするぐらい塞ぎ込んでいたので、辞めた時にその反動で躁転したのだと思う。久しぶりに「楽」以外の感情が全て消えるあの感覚。当時可愛がっていたウサギの耳を掴んでブランブランさせながらしげしげと眺め「あ、俺こいつを壁に叩きつけて殺しても何も感じないかも」と思ったのを記憶している。数年ぶりに友達に電話したりした。しかし半日ぐらいですぐに元に戻ってしまいガッカリした。

(もちろん、ウサギに危害を加えたいという欲はない。普段なら耳を掴んだりもできない。壁に叩きつけて云々というのは自分の気分の変化に戸惑い色々な思考実験をする中で、当時1番好きで可愛いがっていたウサギに対してすら酷い事ができてしまうだろうか?と思って試してみたという事だ)

 

次の躁転は上でも書いた鬱病のあと。これは5ヶ月ぐらい続いた。この躁の時も自己流の認知療法(を1時間ぐらいやっただけ)とはいえ自分の努力によって覚醒した気でいた。長年何度も色んな方法で覚醒を試みたが失敗していたので、今回ついに!と思ったが医者に「躁転してますね」と言われ、薬を勝手にやめていたのもあったし「そうかも(努力によってではなく単に断薬の副作用のせいかも)」とうっすら思った。しかし今回こそは覚醒状態を維持するぞと心に誓った。そのまま色々と元気に活動していたのだがだんだんと元に戻っていくのがわかった。なおこの時の躁は20歳の頃みたいな「楽」の感情以外ないという感じではなかった。不安や恐怖は無かったが喜びはあったし怒りもゼロではなかった。当時のエピソードも色々とある(例えば俺は普段は大勢の人の前で話すと緊張して過呼吸になるのだが当時はわざわざそういう場面に出かけていって喋りまくっていたり、色んな面白い人と出会ったりなど話題に事欠かない)がもう疲れたので書けない。

 

追記だが、おそらく20歳の時の状態は

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こんな感じになっていて、わざと元に戻した時には扁桃体の働きの鈍さみたいなものがだんだん元に戻ってきていたのだと思う。

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この状態から努力の部分が消えたので、何らかのしきい値を下回って他の感情が戻って来たのだろう。

30代の時の躁が20歳の頃と比べて感情が残っていたのは、努力の部分がなくて

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こんな感じだったからだろうなと思う。

 

そして扁桃体の鈍さみたいなものが無くなったのでその後はずっと低空飛行のままで今に至る。

さて、ここまでは前振りというか、これらの経験からわかった事をいつか書きたい。

(例えば「こうすると怒りを制御できたり物怖じしなくなりますよ」とか「人前であがらずプレゼンするには」みたいなものに対する反論的な記事)

 

追記

なんとか書けた

https://kei-1010.hatenablog.com/entry/amygdala