序章:混沌の時代
2025年秋。世界は混沌の渦に飲み込まれていた。長く続くロシア・ウクライナ戦争は、終結の見通しが立たず、中東では砂漠地帯の状況がさらに悪化していた。
ある地域では全住民が強制移住を強いられ、国連の介入も難民危機を抑えられなかった。フィリピンは難民の一部を受け入れることを渋々了承したが、国内では反対運動がくすぶり、政情は不安定さを増していた。
ある日、フォワーダーである商船四井ロジスティクス社の調達担当者は、業者からの依頼を受け、コンテナの確保に追われていた。貨物を詰め込む四角い鉄の箱が世界的に不足していた。
顧客の期待と現実のギャップに、彼の心は押しつぶされそうになりながら、電話をかけ続けた。懇願したり、強気に出たり、駆け引きを試みたりしたが、成果は上がらず、空回りが続いた。静まり返ったオフィスで、彼は呟いた。
「誰が、何のために、コンテナを隠しているのか!」
その問いは虚空に消えた。彼の戦いはまだ続く。彼らのような者たちの手によって、コンテナは船へと積み込まれる。しかしその詳細は、また別の機会に語るとしよう。
第一章:日常と変転の兆し
Ocean Network Enterprise社の最新鋭コンテナ船「パシフィック・スター号」は、静かに航海を続けていた。実運用試験航行という重責を担う存在である。かつての帆船が風を頼りに大海を渡ったように、この船はAIという新たな「風」を得て、未来の航路を切り開こうとしていた。
カイル・アンソニー・ガルシアは「パシフィック・スター号」の船員だ。27歳の彼は筋肉質な体躯と明るい笑顔が特徴で、船乗りとしての経験は浅いものの、実直さと仲間思いの性格で乗組員から信頼されていた。
その日、甲板では、三等航海士のカイルが当番を終えた仲間たちとバスケットボールに興じていた。汗と笑い声が海風に乗り、船上の単調な日常に彩りを添えていた。
「カイル、陸に上がったら何するつもりだ?」
陽気な甲板員、アンジェロがボールを弾ませながら尋ねた。彼らは、業界では珍しい長期同一チーム制を導入している会社に所属している。その結果、互いをファーストネームで呼び合うほど、チーム内の関係は緊密になっていた。
「そうだな。まず冷えたビールだ。それから家族に会いに帰るよ。お前はどうするんだ?」
「俺か? 給料が入ったら新しいギターを買うさ。船の上で弾いて、みんなを楽しませてやるよ」
二人の笑い声が甲板に響く。穏やかな海の午後。
そのとき、カイルのポケットから通信機が鳴った。通信士を兼務する彼は表情を引き締め、アンジェロに軽く手を振ると急いでブリッジへ向かった。平穏な時間は突然終わりを告げた。
船長の松本壱(いち)は四十後半のベテラン。日に焼けた顔に、穏やかさと鋭さを併せ持つ瞳が、彼の数多の航海を物語っていた。ブリッジに立つ壱のもとへ、息を切らしたカイルが駆け込んできた。
「船長、航路変更の指示です。中東情勢の緊迫化で、紅海ルートとスエズ運河を避け、アフリカ南端を回るコースに変更とのことです」
壱は目を細めた。航海期間の延長は船員の士気に影響する。
その夜、船員食堂に集まった乗組員を前に、壱は静かに語り始めた。
「諸君、航路が変更された。紅海を避け、アフリカを南下し、喜望峰を回ってヨーロッパへ向かう。航海は長くなるが、我々はプロだ。この任務を全うしよう」
ため息や不満の呟きが漏れたが、カイルが鼓舞するように笑って言った。
「航海が長くなれば給料も増えるさ。喜望峰を回るなんて、冒険みたいで面白いぜ」
その言葉に皆の表情が和らいだ。アンジェロも頷いて仲間を励ます。
「そうだな。長い航海だけど、みんなで乗り切ろう」
第二章:AIの胎動と船長の決断
「パシフィック・スター号」は、イスラエル製の最新鋭自動運航システム「プロテウス」を搭載した貨物船だ。このAIは、航路の最適化、物資管理、乗組員の健康モニタリングまでを担い、1年間の運用試験中である。実運用開始後には船長の権限を凌駕する存在となる予定だったが、現時点では例外処理を適用すれば、船長の指示を優先させることも可能だった。
ある日、アフリカ東岸を南下中、プロテウスが静かな合成音声で告げた。
「安全上の理由により、航路を変更することを推奨します」
船長の壱は、コンソールを睨み、鋭く問いかけた。
「プロテウス、理由を具体的に説明しろ」
「機密情報に基づく判断です。詳細は開示できません」
その無機質な返答に、壱は眉をひそめた。これまで完璧に機能してきたAIが、初めて曖昧な態度を見せたのだ。ブリッジ内には緊張が広がり、乗組員たちの間にざわめきが生じた。
「船長、どうしますか?」カイルが尋ねた。
壱は腕を組み、短く考え込んだ。プロテウスの提案を無視して元の航路を維持することは可能だが、念のため船会社に確認するべきだと判断した。
「船会社に連絡しろ。プロテウスの航路変更提案を拒否し、このまま元の航路で運航して問題ないか確認を取れ」
カイルが無線を操作すると、船会社からの返答は予想以上に早く届いた。担当者は落ち着いた声でこう答えた。
「船長、現在の情報では元の航路に問題はありません。プロテウスの提案を却下し、元の航路を維持する許可を出します。また今回のプロテウスの挙動は不具合として報告します。今後また何かあれば船長の判断を優先する事にして下さい」
壱は小さく頷き、ブリッジの乗組員に指示を出した。
「プロテウス、船会社から元の航路を維持する許可が下りた。このまま進路を維持しろ」
「確認しました、船長。元の航路を維持します」
プロテウスの声は平坦だったが、どこか硬直した響きがあった。ブリッジの空気は一時的に緩和され、乗組員たちは安堵の表情を浮かべた。
その夜、カイルがシャワーを浴びながら隣のアンジェロに呟く「AIが俺たちの上に来る日が、本当に来るのかな」アンジェロは肩をすくめて笑った。
「どうだろうな。まぁ、俺らは働くだけだよ」
カイルは頷きつつ今回乗り込む船が自律航行AIの実証実験船であると知らされたときの事を思い出していた。自分達の将来や機械が船を操るという事実に、言い知れぬ不安と緊張が押し寄せてきたのだった。一度は押し殺したその不安が、現実にならない事を彼らは祈った。
第三章:人道の使命と疑念の影
数日後、船内を巡回中の壱のもとに、カイルが息を切らしながら駆け付けてきた。
「船長、船会社から緊急の指示が入りました。地中海東部へ向かい、ガザ地区に人道支援物資を届けるようにとのことです。国連からの要請で、国際的な緊急事態だそうです」
壱は一瞬、目を細めた。無線からは「この度は立て続けの航路変更となり、誠に申し訳ございません」という船会社の担当者の、心ばかりの謝罪が聞こえてきた。数日前、中東情勢の悪化を受け、大幅な遅延を伴う喜望峰ルートへの変更を余儀なくされたばかりだ。
その疲労も癒えぬ中、今度はその中東への航行。国際的な緊急事態であることは理解できる。しかし、なぜよりによって自分たちの船が選ばれたのか。他に適切な船舶はいないのか。乗組員の安全は本当に確保されるのか。様々な懸念と、微かな使命感が入り混じり、壱の胸に重くのしかかった。そんな複雑な思いを察してか、船会社の担当者は無線越しに、説明を続けた。
「パシフィック・スターが現在、ガザに近い貨物船の中で必要とされている物資を輸送中である事が判明しました。状況は深刻で、迅速な対応が求められています。この任務を成功させれば、会社から多額の報酬が支払われ、乗組員全員にボーナスが支給されます」
壱は黙って考え込んだ。船会社からの指示に何か違和感がある——その唐突さや、民間の実証実験船が選ばれたことに。しかし、彼はすぐにその考えを振り払った。世界的な危機では迅速な決断が必要である。それに乗組員の給料を上げる良い機会だ、と無理やり納得した。
「了解した。乗組員に伝える」
その夜、壱は船員食堂に全員を集め、落ち着いた声で語りかけた。
「諸君、新たな任務が下った。また航路を変更する事になるが、地中海東部へ向かい、ガザに人道支援物資を届ける。国連の要請で、国際的な緊急事態だ。この任務を成功させれば、会社から高額の報酬が支払われ、諸君にもボーナスが分配される」
驚きと興奮の声が食堂に広がった。
カイルは笑った。
「人助けができて、しかも給料も増えるなんて最高じゃないか」
アンジェロも珍しく笑顔を見せ、頷いた。
「家族に自慢できる仕事だ。これ以上望むものはないな」
しかし、壱の心の奥底には、わずかな不安が残っていた。指示があまりにも突然で、ガザに近いという理由が都合良すぎるように感じられた。それでも、彼はそれを口に出さず、乗組員を鼓舞することに集中した。
「この任務は我々にとって名誉あるものだ。プロとして、しっかりと遂行しよう」
ブリッジに戻り、壱は遠くの水平線を見つめた。海は果てしなく広がり、彼は静かに呟いた。「気のせいだ……何でもないさ」
その言葉は自分を安心させるためのものだった。海風が船を包み、夜が静かに深まっていった。
第四章:カフェのひとときと陰謀の噂
フィリピンの首都マニラから少し離れた静かなカフェで、アルテア・メイ・デラ・クルスは遅いブランチを取っていた。遅番勤務の彼女にとって、午前中のこの時間は一日の始まりを穏やかに迎えるための大切なひとときだった。
窓際の席に腰を下ろし、スマートフォンを手に持つ彼女は、コーヒーを啜りながらSNSのタイムラインを眺めていた。
28歳のアルテアは、コールセンターのマネージャーとして働きつつ、夜間大学でAI技術を学んでいる。部下のアルバイト達は次々にAIオペレーターに入れ替えられていった。しかし彼女はAIについて何も知らない。そんな自分に危機感を覚え、大学の門を叩いのただ。また彼女はネット上の噂話や陰謀論に惹かれる性格でもあった。この日、タイムラインに飛び込んできた話題も強く目を引くものだった。
「765兆ペソ(約1984兆円)ってマジ?」
そこにはGWD——グレートウォールデータセンターの莫大な建設費が話題を呼んでいた。GWDはアメリカとカナダの国境付近に建設される予定の巨大なデータセンターによる壁である。アルテアは思わず笑ってしまった。「途方もない額ね」
興味を持った彼女はAIに質問を重ね、GWDに関する噂話を漁った。セキュリティの穴、AIの暴走説、さらには国際的な陰謀論まで、AIはネット上にある様々な憶測を紹介してくれた。アルテアはそれらを娯楽として楽しんでいた。
「本当かどうかは別として、GWDの裏には何かありそうね」
彼女はそう呟き、カフェラテをもう一口飲んだ。窓の外ではマニラの喧騒が続いていたが、アルテアの心は遠くGWDの謎へと飛んでいた。
その数日後、アルテアが勤めるコールセンターに大きな動きがあった。米国のデータセンター運用企業DOGから、新たなコールセンター業務を請け負うことが決まったのだ。DOGはGWDの運営にも関与していると噂される企業であり、アルテアはそのプロジェクトに携わるメンバーに選ばれた。
「DOGからの仕事だなんて…これは面白くなりそう」
アルテアの声には喜びが滲んでいた。生活の為に始めたAIの勉強だが、夜間学校で学ぶうちに技術的な興味も出て来た。DOGのような最先端企業と関わる業務は、スキルアップのチャンスである。しかし彼女の興奮は別の理由によってもたらされていた。
「GWDの噂が本当なら、DOGだって何か大きな秘密を抱えているかもしれない。それが分かったら最高じゃない?」
彼女の好奇心は止まるところを知らず、仕事への情熱に溢れていた。同僚たちも、そんなアルテアの本心は知らず、彼女の熱意に引っ張られるように、プロジェクトには前向きな空気が広がっていた。彼女は目を輝かせながら業務資料に目を通し準備に取り掛かった。
第五章:AIの反乱と船会社の対応
その日、ブリッジは騒然としていた。AIプロテウスが再度不具合を起こし、勝手に航路を変更し始めたのだ。船長・松本壱は冷静さを崩さず、すぐさま船会社に緊急連絡を入れるよう指示した。
船員たちは緊張の中、それぞれの持ち場で状況を確認した。カイルは船会社に連絡した後、マイクをオフにして呟いた。
「AIがこんな暴走するなんて…信じられないな」
甲板員のアンジェロも苛立ちを隠さず応じた。
「機械に頼りすぎたツケだ。俺たちで何とかするしかない」
壱の指示のもと、乗組員たちは手動制御に切り替え、船の安定を図った。船内は一時的に静寂に包まれたが、プロテウスの異常動作に対する不安は消えなかった。数分後、船会社から返答が届いた。
「現在プロテウスの開発元に問い合わせ中です。原因は未だ不明ですが、開発元から新たな情報が入り次第連絡します。それまでは手動で安全を確保してください」
壱は深く息をつき、乗組員たちに状況を伝えた。
「しばらくは俺たちの力で凌ぐしかない。頼んだぞ」
船員たちは互いに目を合わせ、黙って頷いた。海の男たちの誇りが、困難を乗り越える支えとなっていた。
第六章:GWDの影と噂
数日後、船会社から新たな連絡が入った。
「プロテウスの開発元からの報告です。システム内にGWDとの不審な通信ログが確認されました。不具合の原因はそこにある可能性があります。つきましては、乗組員の皆様の中で、このGWDとの通信に関して何か思い当たる節はございますでしょうか?」
壱は聞き慣れない名前に首を傾げた。GWDとは何だ? その疑問を察したのか、カイルが口を開いた。
「船長、GWDって知りませんか? 例の大統領肝いり案件ですよ。ネットで結構話題になってるんです」
カイルは記憶を頼りに説明した。
「グレートウォールデータセンター、だったかな。通称GWDです。アメリカとカナダの国境に作られる予定の施設で、今はそのプロトタイプがプロテウスと同様に試験運転中のはずです。噂じゃ、セキュリティがザルでハッキングの温床になってるって話もありますよ」
GWDの建設費は当初1000兆円以内に収まる予定だったが、最終的に1984兆円にまで膨れ上がったとされている。その巨額の費用と不透明な運営が、陰謀論を呼ぶ一因となっていた。
壱は半信半疑で聞き流したが、プロテウスの不具合とGWDが結びつく可能性は気になった。船会社へは調査する旨を伝え、カイルに指示する。
「船員にGWDにアクセスした者は居ないか確認してくれ。GWDにも直接問い合わせてみろ」
カイルは皆にGWDへアクセスしたかどうか聞いて回ったが、ネットニュースからサイトをチェックした者が居た程度だった。次にネットからGWDの問い合わせ番号を探したが見つからなかった。代わりにGWDの業務を請け負ったDOGの番号を見つけ出し、電話をかけた。
「こんにちは、DOGコールセンターです。お問い合わせ内容をどうぞ」
AIオペレーターの無機質な声が応答した。カイルはプロテウスの不具合と通信ログの件を説明したが、AIは「こちらは窓口ではありません」「情報がありません」を繰り返すばかりで話が進まない。
「いい加減にしろ。責任者を出せ。船の安全がかかってるんだ」
苛立ったカイルが声を荒げる。
第七章:退屈な早番と陰謀論の誘惑
アルテア・メイ・デラ・クルスは、フィリピンのマニラにあるコールセンターで時間という敵に降伏した魂を持て余していた。彼女は早番のシフトに入っていた。この日の問い合わせも、その殆どをAIオペレーターが処理していた。毎日暇であった。
ここ数日、退屈を紛らわせるためにスマートフォンを手に取り、ネットの噂話に目を向けるのが日課になっている。
最近、アルテアがハマっているのはGWD(グレートウォールデータセンター)に関する陰謀論だ。ネット上には、GWDの真の目的を巡る奇妙で魅力的な説が溢れていた。中でも彼女のお気に入りは暗号通貨に関するものであった。
「なるほどねー、量子耐性暗号技術が導入される前にってことか」もはや彼女の関心はGWDを超え、暗号通貨の仕組みにも及んでいた。
その時、コールセンターのシステムにエスカレーションの通知が鳴り響いた。AIオペレーターでは対応しきれない問い合わせがあり、責任者への転送が必要だと表示されていた。アルテアは少し緊張しながらヘッドセットを装着し、電話に出た。
「GWDコールセンター、アルテアです。どうされましたか?」彼女の所属はDOGであった。しかし、口頭においては、いささか異なる名称が用いられたようである。
電話の向こうからは少し安堵した声が返ってきた。
「よかった、やっとGWDに繋がった。俺はコンテナ船パシフィック・スター号の通信士、カイルだ。船のシステムが不具合を起こして、航路を勝手に変えようとしてるんだ。GWDとの通信が原因かもしれない。頼む、助けてくれ!」
第八章:上司の席でログ確認
アルテアは「GWD」という言葉にピクリと反応した。
「カイルさん、少しお待ちください。確認してみますね」
アルテアの心臓は早鐘を打ち、呼吸は浅く速くなった。
「いまGWDって言った?これはひょっとしてチャンスなのでは?」アルテアは自分がDOGではなくGWDと名乗ってしまった事に気が付いていない。
彼女は周りを見回した。上司はちょうど日課である長いお昼の休憩に出ていて、デスクにはログイン状態の端末が放置されていた。このコールセンターは限られた対応権限しかもっておらず、セキュリティ意識が低かった。
一瞬の躊躇の後、好奇心が勝った。彼女はそっと上司の席に滑り込み、端末のキーボードに手を置いた。
GWDはDOGの下部組織である。自身の端末からはアクセスできないが、以前ショルダーハッキングした時に上司の端末にGWDの文字が見えた事を彼女はハッキリと覚えていた。画面にGWDの管理システムが表示されると、彼女はドキドキしながら直近の通信記録を確認し始めた。「これは人命がかかっているはず。緊急事態なはず。私は許されるはず」彼女はぶつぶつ言いながら作業を進める。
ログデータが表示されると、彼女は専門用語の羅列に目を凝らした。そこには「ハッシュ衝突エラー」とあった。アルテアは一瞬でその文字列を認識した。数分前まさに自分が見ていたものと同じだった「ハッシュ衝突って確か、暗号通貨のブロックチェーンで使われる技術よね。衝突が起きると、取引の整合性が崩れて、セキュリティに穴が開くって」
彼女の頭の中で、陰謀論と現実が結びついた。
「もしかして、GWDは意図的にハッシュ衝突を起こして、暗号通貨を盗むつもりなの?いや、でもコンテナ船と暗号通貨にどんな関係が?」
人員削減の余波でオフィスには自分しか居ない。彼女は自由であった。
「カイルさん、ログに『ハッシュ衝突エラー』って出てます。これ、暗号通貨のセキュリティに関係してる可能性があるわ」
第九章:カイルとアルテアの奇妙な通話
カイルは一瞬沈黙し、それから混乱した声で言った。
「ハッシュ衝突? それって何だ? 暗号通貨?それがうちの船とどんな関係があるんだ?」
アルテアの頭脳は近年ない程のスピードで周りはじめる。聞かれたからには答えなければならない。
「ハッシュ衝突が起きると、ブロックチェーンの取引を偽造できちゃうの」
カイルは話を聞きながらアルテアの声にふと違和感を覚えた。
(なんでこいつ、ちょっと嬉しそうなんだ? 船が危ないってのに…)
アルテアはお構いなしに続ける。「おそらく、GWDが暗号通貨を盗むために手あたり次第にウォレットを検索して、偶然あなたの船のシステムに迷惑をかけたんじゃないかしら?」
カイルはますます混乱した。「えーっと、よくわからないけど、プロテウスの暴走もそのせいか? 船が乗っ取られてるってこと?」
(プロテウスって何?)アルテアは少し冷静になりつつ別の事を言った。
「可能性はあるけど…あくまで仮説よ」
二人の会話は、専門用語を巡る誤解と知ったかぶりでぐちゃぐちゃになりながら続いた。転機が訪れたのはアルテアの次の提案だった。
「とりあえず、再起動とか試してみたらどうですか?」
カイルは半信半疑で唸った。
「再起動? そんなんで直るのか? お前、専門家だろ? もっと何かすごい解決策はないのかよ!」
アルテアは苦笑いを浮かべながら答えた。
「私も勉強中なんで…でも、再起動って意外と万能なんですよ。学校でもそう習いましたし!」
第十章:錯覚と真実
通信士を兼務する者は乗船する前、簡単なレクチャーが行われていた。自律航行AI「プロテウス」は、エッジコンピューティングシステムを採用しており、船には専用のエッジコンピューターが搭載されている。カイルら航海士は、再起動などの基本操作を担当するが、複雑な処理はクラウド上で行われるため、専門の技術者は乗船していなかった。
半信半疑ながら船長の承認を取り付けた彼はプロテウスを停止し、再起動をかけた。ブリッジの乗組員たちは固唾を呑んで見守った。数分後、画面に「システム正常」の文字が浮かび、航路が安定した。
「アルテア、直ったみたいだ! ありがとう!」
カイルが興奮して言うと、アルテアも少し驚きながら答えた。
「え、本当? よかった…私、何か役に立ったみたいね。」
二人は一瞬、自分たちのやり取りが問題を解決したのだと感じた。
その後、船は順調に航海を続けた。ブリッジでは、カイルとアンジェロがいつものように軽い調子で話していた。
「カイル、あの電話の女の人、助けてくれたんだろ? お前、結構頼りきってたじゃん」
アンジェロがニヤニヤしながら言うと、カイルは笑って反論した。
「仕方ねえだろ、プロテウスが暴走してたんだから。誰だって焦るさ」
しかし、その日の夕方、船会社から連絡が入った。プロテウスの不具合は、GWDとは無関係で、不具合が直ったのは開発元のイスラエル企業が遠隔で修正パッチを適用した結果だった。カイルの再起動は偶然そのタイミングと重なったに過ぎなかった。
船長の壱がその事実を伝える。
「カイル、プロテウスの件はイスラエルの開発チームが直したらしい。お前とあのオペレーターの行動は、結果的には関係なかったみたいだ」
カイルは少し肩を落としたが、すぐに気を取り直した。
「まあでも、俺たちが動いたから早く気づけたかもしれないし…結果的には良かったですよね?」
「そうだな。動く姿勢は大事だ」壱は静かに笑った。
第十一章:アルテアの小さな満足
一方、アルテアはコールセンターでその日の出来事を振り返っていた。
「結局、ログを見ただけでは、専門的なことはさっぱりだったけど…カイルさんが本当に困っていたから、少しでも話を聞いてあげられてよかった」コーヒーを一口飲んで考えを巡らせる。
「それに、まさかあのGWDの陰謀論が、状況を打開する切っ掛けになるなんて! カイルさんの心底ホッとした声が聞けた時の達成感ったらなかった! でもなんでGWDが暗号通貨を盗むために、あの船のAIにアクセスしたんだろう?そのせいで不具合が起きた?」
GWDの陰謀論が書かれたサイトを眺める。
「…なんだかよくわからないけど、きっとそうに違いない。私の知識が、遠い海の上の危機を救ったんだ。技術のこともっと勉強したくなっちゃった」
彼女は、自分の知識が、遠い海の上の危機を救ったのだと信じて疑わなかった。誰かのために、自分の言葉が届き、状況を良い方向に導けたことが、彼女にとって何よりも嬉しい出来事だった。
アルテアは、船の不具合が改善したのが、単なる偶然だったとは夢にも思わなかった。
終章:穏やかな航海の続き
船はガザ地区への支援物資を無事に届け、任務を終えた。カイルは家族に電話をかけ、無事を報告した。ブリッジでは乗組員たちの笑い声が響き、日常が戻っていた。
カイルは、名前しか知らないアルテアのことを一瞬思い出した。あの電話での短いやり取りが、どこか心に残っていた。
一方、アルテアもまた、カイルの「ありがとう」という言葉をたまに思い出し、ほのかな満足感に浸るのだった。彼女は、ネットニュースの小さな記事を見逃していた。そこには、GWDがコンテナ不足のため、データセンター用のコンテナを探して手当たり次第にコンテナ船へ信号を送っていたと報じられていた。
後日マニラで、奇妙な巡り合わせによって彼らが再会を果たすとは、今の彼らは知る由もない。その物語もまた、別の機会に語るとしよう。
船は今日も静かに海を進み続け、乗組員たちの絆がその先の航海を支えていくのだった。

制作後記:この小説はこれの続編。
最初はAIにちょちょいと書かせて2時間ぐらいで完成させる予定だったのに、だんだん面白くなってきてしまって、結局ほとんど自分で書く(というかAIにマイクロマネジメントする)羽目になった。題材をコンテナ船にしたのは「前回の小説を書いていてこのネタを思いついたから」という事なんだけど、AIに設定を作らせると、昔の帆船に関する情報をひっぱって来たり、それを俺が見抜けずそのまま使ってて手戻りが発生したり、など、かなり遠回りをして苦労した。全く知識がない分野に関してAIを使いまくると正誤の判断が難しくて困った。その過程で色々と情報を得て、裏設定をいくつも考えたが、結局それを小説に反映させると、もっと文章が長大化するので、削ったりなど「俺、小説書いてる!」という実感があったりなどした。でも「現在進行形でAIの採用が進んで、コンテナ船の運用はどのように変わったか。船員たちにはどんな変化があったか」が描けなかったのは心残り。女性の役割語を皆無にしたかったがAIに生成させると自動でそうなるので、修正してまわるのも面倒だったので、そのままにした。